ちょっと話がずれるが、割と深い部分にふれてみようと思う。
自由狩り以前に、自由って何なのだろうか?ってこと。
上みたいに、自由なんか存在しない!とか言ったらおしまいなんだけど。
決定論とか持ち出すと、自由の存在を完全に否定できますが。
でも、ここは敢えて、自由の存在を主張してみることにする。
私の意見をわかりにくく言うなら、自由は「存在」しないと思う。
自由が「ある」「ない」など物体的なものではないという意味で。
自由は感じるもので、得たり無くしたりするものではない。
いや、別にそれに大して何か反例があるわけでもないのだけれど。
人が感じる様々な感情の一つなのではないかと思う。
そして、自分の中で「どれだけ」自由を感じたかの差だと思う。
つまり、自由は常に存在するが、そこには「存在」しないわけ。
0を中心に、正と負に伸びる棒グラフを想像してほしい。
普段は0に限りなく近い自由の値だとする。
それが、正に動けば動くほど、より自由を感じることが出来る。
逆に、負に動くば動くほど、不自由を感じるようになる。
私の考える自由感とは、こういうものだと思う。
人は常に自由である。しかし、それを感じられるは個人次第。
例えば、二人の異なる人間に、同じ長さの余暇を与えたとする。
仮に同じ余暇で同じことをしたとしても、それぞれで感じた自由度は違うと思う。
逆に違うことをしても、両方同じくらい自由に感じるかもしれない。
上等な料理を、それを普段から食べている貴族が食べるか、
私たちみたいな庶民が食べるかによって、幸福感が違うのと同じである。
何をしたから自由というわけではない。
自由狩りだから自由とも限らないし、効率に縛られても自由かもしれない。
自由を求めることに対して、他者がそれに口添えしても意味がない。
だけど、それはあくまで自由を求めている者に対して。
彼(彼女)らみたく、自由を見失っている人には別だと思う。
私が自由に対して感じている感覚を言葉で説明するのは難しいのだが、
そういう人は、現状で何をやっても、値が正に移動できない状態なのだと思う。
そんな人にこと、言葉による問いかけは必要であると思う。
自分にない考え方を取り入れることで、パラダイムシフト出来ると思う。
そう考えると、自由に曇りがかっていた状態の彼(彼女)らも、
翼さんとのいざこざで、考えが固まり、枠から抜け出せたとしたら、
それは彼(彼女)らにはプラスに働いたと言えます。
自由を考えるととても難しいですね。思わず熟考してしまいます。
このペースだと一日書き続ける羽目にはりそうなのでこのあたりで。
何か反論とか、意見とかあったら、是非たたきつけてほしいです。
返信するかどうかは別として、他者の考えはとても為になりますし。